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沿革

三鷹市は戦前から中島飛行機や日本無線、それを取り巻く関連産業とそれらを支える中小工場が集まる一大工業集積地であり、戦後も自動車や通信・測定機器等に向けた金属機械加工、電気機械、精密機械を中心に、多摩地域有数の「工業のまち」として歩んできた。
また商業関連では、昭和35年から昭和40年の間に、三鷹中央通りに大型商業施設「シヅオカヤ」、ショッピングセンター「三鷹センター」、「長崎屋」が次々と開店し、当時としては画期的な大型商店街の出現となり全国から注目を浴びることとなった。

こうした中、昭和35年6月に「商工会の組織等に関する法律」が施行され、商工会設立への機運が高まる中、9月1日に「三鷹市商店街協同組合」と「三鷹市工業協会」を中心に「三鷹商工会創立総会」が開催され、10月31日には設立認可となり、三鷹商工会は東京で最初の、日本では2番目の商工会として発足した。その後、昭和43年に第1回「三鷹阿波踊り」開催、昭和46年に大手町の都立産業会館で「三鷹市優秀企業展」を開催したのをはじめ、昭和48年には小規模事業者を対象とした融資制度「マル経融資」がスタートするなど、中小企業支援、地域振興の活動を広げてきた。また昭和53年には、念願の「三鷹商工会館」が完成し、商工会活動の自前の拠点を持つに至った。更に、平成元年には「三鷹ハイテクセンター」が完成し工業の新たな集積地となった。

この様に日本経済の復興、発展とともに歩んできた商工会だが、昨今の厳しい経済環境のもとでは商工会に求められる任務、役割も大きく変化している。この時代の変化を先取りし、会員のニーズに応えられる商工会の実現を目指して様々な施策を実行している。